年頭所感:ある枠組みにまとめて同一視してしまうのはもうやめよう

皆さま、新年あけましておめでとうございます。

クリニックは、4日より診療を開始しました。

 年末年始を脈絡なく過ごしたために、大事な執筆作業が思うようにはかどらなかったので、ブログの更新も途切れ途切れになりますが、年頭にあたって、このところ考え続けていたことについて短い文章を残しておこうと思います。

 

 表題の意味していることは何か、これこそがまさにしばらく頭にあったことなのですが、医療に従事する人の中にある根本的な考え方の不自由さを変えなければいけないのではないかという思いなのです。具体的に説明していきます。

 出生前検査・診断についての議論をしているときに常々気になっていたことに、病名で物事を決めてしまう傾向があることがあります。例えば、〇〇症候群だからこうするとか、〇〇症候群だからといってこうしてはいけないとかといった議論です。

 医師の基本的な診療の手順に、診断し治療するという流れがあります。ある兆候からいくつかの候補を想定して、所見をとり、検査を行って、疑い診断から確定診断へと導き、その診断に基づいて、治療方針を決定します。この考え方が身についているから、医師はつい、〇〇病だからこう治療するという形の考え方でものを見てしまっていることが多いと思うのです。

 だから、例えば着床前診断の適応についての議論や、人工妊娠中絶に胎児適応を加えるかどうかの議論において、ではどういう病気なら対象に含まれるのかといった話になって、それは重篤な疾患という答えが出て、では重篤な疾患とはどのようなものを指すのかという疑問が生じ、成人に達する前に亡くなってしまうようなものは重篤でしょうねえなどという話から、成人に達することのできる病気ならば重篤ではないなどという基準が当たり前のような思い込みが蔓延してしまうという、おかしな流れができてしまったりするのです。このような議論の過程には、何か基準を決めなければいけないという考えだけが一人歩きしていて、実際に疾患を持っている人や患者家族といった当事者、その次の世代にまでつながる心配を抱えている人たちの事情は二の次になってしまっています。成人発症の疾患でも、たいへんに重篤なものがいくらでも存在していると思うし、成人まで生存できたとしても幼少時から成人期にわたってもうずっとたいへんな差別と不自由にさらされている人も大勢おられます。そして患者自身が、自分の子孫に同じ思いをさせたくない、もし現在の検査技術を駆使して自分の疾患に関わる遺伝子を子孫に引き継がないようにできるのなら、その技術を利用したい、と考えても、成人期まで達して文化的生活が可能な人は重篤ではないとか、治療法がある(これがまた小さい子供にとってはたいへんな負担になる辛い治療だったりするんですが)などという、他人事扱いで済まされて涙をのんでいるケースがあるのです。もうこのような不毛な議論はやめるべきだと思うのです。

 〇〇症候群と一口に言っても、その中には様々な病気の重さの違いもあるし、その方の置かれている立場によっても社会的状況の違いがあります。そういった様々な違いがある集団を、枠組みでひとくくりにして定義づけてしまう乱暴さに気がつくべきです。集団の内部にはいろいろな違いを持ったたくさんの個人がいます。

 医療従事者だけではなく、一般の人たちも枠組みで定義づけてしまう考え方をしがちな傾向が見られることがあります。たとえば、血液型が◯型だからこうだとか、男はみんなこうとか、日本人だからこうだなどという話題になることがあります。出生前検査・診断の話題が、いつも今ひとつ理解されない原因にこの考え方があるように感じます。出生前診断の対象になるものには本当に様々な病気があって、世の中には知られていないものもたくさんあるのに、そういうところにはほとんど目を向けられていないと感じることがあります。報道のされ方にも問題があるのだと思います。報道する立場の方々も、よくわかっていない人が多いのではないでしょうか。

 このように枠組みに当てはめて考えてしまう問題、いわゆる“レッテル貼り”は、病気や障害の名前による分類だけの話ではありません。専門家の間でもこの問題が根強い印象があります。たとえば、“〇〇科の医者はこういう考え方をする”というような具合です。私は、ある学術集会のシンポジウムの時に、ある高名な医師から、「あなたの施設がしっかりやっておられるのはわかりましたが、あなたは産婦人科医だから不十分なところがあって、小児科医が関わることが必要だ。」というようなことを言われ、落胆したことがあります。このような考え方をしている人が実は名もあり力もある人の中に多いので、たとえばNIPTを実施する施設基準に、“産婦人科専門医と小児科専門医の双方が在籍していなければならない”などというような文言が入ってしまうのです。いまや、胎児の診断の現場に小児科医や小児外科医が関わるようになり、施設によっては産婦人科医が新生児期の主治医を兼ねていたり、療育に携わったり、ある特定の枠組みには収まりきらないケースも増えてきつつあります。そもそも周産期という領域そのものが境界領域なのです。

 今年こそ、枠組みにはめ込んだレッテル貼りをやめ、個々の多様性に目を向けた考え方をベースに、議論できるように変化していけるとっかかりを掴みたいと考えています。