「羊水検査で確定しないと中絶できません。」という方針、矛盾しているんじゃないですか?

出生前検査・診断の現場で、妊婦さんが直面する最も大きな問題は、『検査陽性』という結果を受け取った時に、妊娠を継続して出産を目指すのか、中絶を選択するのかの判断・選択でしょう。とくに、NIPTの場合、その結果は確定診断ではないけれど、検査精度はかなり高いという事実もよく知られているので、たいへん悩ましい問題になります。この辛い状況に、検査を扱う医師はどれだけ寄り添った対応ができているのかというのが、今回のテーマです。

 NIPTで陽性が出た時、学会認定施設をはじめ、ほとんど全ての施設で、「確定診断は羊水検査」と決められています。なぜなら、NIPTには偽陽性があること、そしてその偽陽性の中には「胎盤モザイク」によるものがあり、絨毛検査ではこの「胎盤モザイク」をひろってしまう可能性があるため、胎児に染色体の問題が存在することを確定するためには、胎児の細胞を調べる羊水検査が妥当ということになるからです。

 このことは特に学会の認定を受けている実施施設の中では、医師達に周知徹底されているし、たとえば日本産科婦人科遺伝診療学会が行なっている講習会などでも、強調されていることだと思います。

 たしかに、不確実な診断を元に、本来希望していなかった誤った選択に至ってしまったとしたら大問題ですので、大事なことだとは思います。しかし、ここに柔軟な対応が入る余地はないのでしょうか。

安易な中絶と医療側が決めつけていないか

 なぜ、柔軟な対応が必要と考えるか。それは、妊婦さんが出産を目指すのか中絶を選ぶのかを決めるときの理由にもさまざまな問題が関係していると考えるからです。また、医師が診断に責任を持つことができるための情報が、染色体検査の結果だけとは限らないと考えるからです。

 産むか産まないかの選択・決断には、いろいろな問題が関係してきます。生活状況から考えて、きちんと産んで育てていけるのだろうかという悩み、カップルの関係性、自身の体調、経済的負担。子どもを産んで育てていくということは、簡単なことではありません。自分でつくった子どもなんだから、責任を持てと言われるかもしれませんが、サプライズ妊娠という言葉もあるように、はじめから計画して作る子どもばかりではありません。だから、たまたま今回は染色体の問題に関して陽性結果が出たけれど、それはこの選択に関わる情報の一つにすぎず、背後には複雑な事情が存在している可能性もあるのです。

 しかし多くの場合、検査陽性で結果的に中絶を選択したという場合、胎児の染色体に問題があったことが単独の理由として扱われがちです。だから、「診断が確定でないまま中絶を決めてしまってはいけない。」と言われるし、診断が確定してからでも「安易な中絶」と責められたりすることすらあります。実際にはその人それぞれに複雑な事情があるかもしれないのに、何かというと妊婦は考えが浅い人たちとして扱われがちです。

医師は状況に応じた判断をしてほしい

 医師の判断というものがもっとあっても良いとも思います。染色体検査の結果だけにとらわれず、総合的に判断する能力を養う必要があると思います。たとえば、18トリソミーや13トリソミーなら、超音波検査の知識と技術を向上させれば、複数の特徴的な形の問題をより早い段階で見出すことで診断につなげることができます。実際に私たちは、超音波で明瞭な問題(たとえば全前脳胞症などといった脳の構造異常や重大な心奇形)が見つかるようなら、染色体検査の結果がなくても判断できると考えますし、決断のためにはっきりした検査結果を求める場合には、絨毛検査で確定することもできます。

 18トリソミーでは、大動脈の血流をみると心臓の心室拡張期に逆流が見られるケースがあり、このような場合には、それほど長くない先に心拍が停止するであろうと予測することが可能ですので、その旨お伝えしますが、一般にはこういった血流の検査が行われることもほとんどないようです。

 しかし現実には、産婦人科医の間では厳密に羊水検査による染色体検査の結果がなければ確定ではないという立場を取る人が多いし、それもFISH法のような迅速検査ではダメで、確定できるのには3週間を要するという一律の判断基準しか示されないことが多いようです。一般的な産婦人科医を指導する立場の専門医のなかに、こういう指導を行う人が存在する(というかそれが主流となっている)ので、この硬直した考えが、金科玉条の如く引き継がれているのです。NIPT陽性で、超音波では胎児の全身がひどく浮腫んでいるようなケースでも、羊水検査まで待つのが決まりと言われてしまっていることが多いのです。産婦人科医はただルールを大事にしてルールに縛られるのではなく、ほかに観察すべきところはないのか、違った対処が可能になる道はないのか、考えてほしいと思います。

矛盾を抱えたままの状態が続いている

 しかしこの、『染色体異常がはっきりしたら中絶することが許される』というような風潮は、すごくおかしいのではないかとも感じます。なぜなら、出生前検査の実施にかかわる議論のなかで、いつも出てくる問題の中に、『胎児の異常は、母体保護法における人工妊娠中絶の実施可能要件にはない。』という事実があるからです。

 実は「胎児の異常を理由に中絶することは法的に認められていない。」ので、実際に母体保護法指定医が施術を行う際の要件としては、『経済条項』が転用されているという事実は、「これまでそれで特に大きな問題になっていないのだから良いではないか。」といったような考えのもと、矛盾を内包したままにされています。そして、多くの診療現場で矛盾を知りつつなんとなく普通に染色体異常の胎児の妊娠中絶が行われていて、いまやNIPTの普及からそれが公然の事実となっている一方で、出生前検査を希望する妊婦に対して、「染色体異常があるからという理由で中絶してはいけない。」と厳しく言い放つ医師も存在しているのです。

 「胎児の染色体異常を理由に中絶してはいけない。」のに、「染色体異常がはっきりしたら中絶が許される。はっきりしないうちは中絶してはいけない。」というのは、おかしくありませんか?この大きな矛盾について、産婦人科医の皆さんはどうお考えなのでしょう?

医療側が罪悪感をつくりだしていないか

 このような複雑な状況なので、NIPTを扱っている認定施設でも、「中絶はよくないこと」「なるべくなら中絶してほしくない」「できれば検査を受けること自体も考え直してほしい」という姿勢で“遺伝カウンセリング”(あくまでも“ ”つき)をおこなっている医師がいたりするのです。だから、“遺伝カウンセリング”の結果、検査を受けないことを選択した割合が高いと、良い“遺伝カウンセリング”ができていると評価する人もいたりします。でもそういうお医者さんが権威だったりするので、遺伝カウンセリングというものが誤解される一因になっているのではないかと危惧しています。

 そして、医師がこのような姿勢だとどこに皺寄せが来るかというと、結局は妊婦さん本人なんです。結果的に中絶を選択することで罪悪感を背負わされることにつながるのです。生まれてくる赤ちゃんが健康であってほしいという願いは、誰でも普通に持っている自然な感情だと思います。その感情に基づいて検査を受けた結果、複雑な立場に立たざるを得なくなり、悩み抜いて重大な決断を下さなければならなかった人が、その決断に対して罪悪感を背負わされなければならないのは、たいへん辛いことだと思います。この中絶は罪悪という考えは、普遍的なものなのでしょうか。罪悪感を背負わない中絶は“安易な中絶”なのでしょうか。この部分の考え方には、実は文化や社会によってもいろいろと違いがあるのではないでしょうか。実はこういうところにも多様性があるに違いないのに、どうも多くの人が自分の考え方が絶対的に正しい普遍的なものだと信じているような気がしてならないのです。

 遺伝カウンセリングのゴールは、来談者が自分の意思に基づいて自己決定することです。この決定過程に、カウンセラーの思想や考えが反映されてはいけません。だから、最終的な結論は、相談する人それぞれに独自のものであり、何か特定の正解があるわけではないのです。NIPTが臨床研究として行われるという話がまとまった時に、その研究テーマが、「遺伝カウンセリングの研究」というものだと聞かされた時、いったいどういう仮説に基づいてどのような結論を目指しているのか、わたしにはすごく疑問でした。研究として成り立つものなのか。実際、この研究は『研究のための研究』というようなもので、その実態は、単に急激な普及を避けるための方便でしかなかったと思います。その結果、わが国の出生前診断の事情は上記のような矛盾を抱えたままになっているし、人工妊娠中絶や母体保護法の問題についての議論ははじまる気配もありません。

 私は、出生前検査・診断とその結果の解釈は、これだけが正解というものはないと考えています。人それぞれに、それぞれの決定・選択があると思います。この種の検査を扱う医療者は、決められたやり方が正しくてそうでないものはよくないことと思い込んで、自分たちの正しさだけを追い求めて、妊娠している人、今の現実にもこれからの将来にも向き合わなければならない人に対して、じっと耐えて待つことを強いるのではなく、頭で考えて、技術を磨いて、いろいろなものごとに目を向けて、ひとりひとりに向き合う姿勢を持って臨んでほしいと考えています。