なるべく検査を行わないように誘導する心理は、どこから来るのだろうか。その3

検査を希望したら医師に叱責されたという事例に遭遇することが多々あります。実際の事例を参考にしつつ、考えていきたいと思います。

 出生前検査・診断の現場では、障碍をもちつつ生活を続けている人々が差別を受けることなく生きられる社会にしなければならないという大事な命題を前提に、検査や診断をいかに扱うべきか考え、議論が重ねられてきました。しかしその一方で、検査技術の発展の速度は加速しており、議論が追いつかないばかりか、議論の前提となる知識の習得すら覚束なくなる事態も生じています。そんな中、資本主義社会に生きる私たちの中からは、検査の発展を単純にビジネスチャンスと捉え、これまで重ねられてきた議論などお構いなしに、ニーズがあるなら提供して利益に繋げようという人たちも現れました。この状況に、これまで真面目に取り組んできた人たちは強い危機感を覚えるようで、一部の人たちは検査を積極的に行おうという姿勢そのものに対して、『安易に』行おうとしているというレッテル貼りをしてしまう方向に流れてしまいます。ここに対立構造のようなものが生まれてしまうことは、物事をあまり良い方向には向かわせていないように感じます。特に、検査を受ける立場の妊婦さんやその家族が、この対立構造の板挟みになってしまうことは不幸でしかありません。

 先日来院された方は、とある学会認定施設ではない医療機関が行なっているNIPT検査(いわゆる『野良NIPT』)を受け、X染色体の数の異常(通常2本のところ、1本しかないと判定された)を指摘されました。この染色体の問題は、臨床的には『ターナー症候群』という疾患の原因になります。ターナー症候群では、一般的な女性が持つX染色体の数が1本少ないことが原因で起こる様々な症状が問題となります。X染色体は、通常2本あるうちの片方は休眠状態(不活化されている)にあり、働いているのは1本なので、数に異常があっても大きな問題にはつながりません。例えば世の中にはX染色体を3本持っている人もいますが、この場合でも働いているのは1本で、後の2本は不活化されますので、ほとんど何の問題もありません。ただ、不活化されている方の1本も、完全に全て休眠しているわけではなく、一部何らかの働きを担っていたりするので、1本しか持たないターナー症候群の人たちには、一定の症状が出てしまうのです。

定義: ターナー症候群(Turner’s Syndrome)(東京医大病院遺伝子診療センターのページ内情報)

ターナー(Turner症候群 概要 – 小児慢性特定疾病情報センター

ターナー症候群(TS)(平成21年度) – 難病情報センター

ターナー症候群本人と家族の会|患者さんのために|日本製薬工業協会

 ターナー女性では低身長や特徴的な体型、二次性徴が発現せず不妊となる問題などがあるものの、知的な問題はないので、みなさん普通に社会生活を送っておられます。一方で、ターナー症候群の胎児は約99%が流産するという事実があり、生まれてこれるケースはごく少数派ということになります。ターナー症候群では、リンパ管の形成に問題が生じることがよく知られており、そのことが原因となって後頚部を中心に複数の時には大きなリンパ嚢胞を生じ、全身が浮腫んだような状態になってしまうケースによく遭遇します。胎児が浮腫んでいると指摘されて来院される方は大勢いらっしゃいますが、むくみの程度が強い場合、私たちはまずターナー症候群を思い浮かべるほどです。

 さて、当院に来院された方には、遺伝カウンセリングの後、まず超音波検査を行いました。ターナー症候群の胎児の場合、やはりリンパ浮腫が特徴的であるとともに、リンパ管の拡張や心臓の左右のアンバランスや静脈管の形成異常、時には腎臓の形態異常などの特徴が見つかることがあるからです。リンパ浮腫が強い場合には、子宮内胎児死亡に至ることが予測されるケースもあります。しかし同時に、X染色体に関連する検査には偽陽性も多く、NIPTで出た結果が必ずしも胎児の状況を反映しているとは言えないことも多いので、超音波検査で胎児に何の症状も見つからなければ、羊水検査での確認が必要になります(超音波検査で特徴がいくつも見られるなら絨毛検査で確認しますし、むくみが強く状態がかなり悪い場合には、そういった検査は行わずに様子を見ることもあります)。

診療現場で叱責を受けてしまう

 この方は、当院で羊水検査を受ける事をお決めになり、かかりつけ医に血液検査データをもらうとともに、検査を受けることの報告をされました。その時に、かかりつけ医から叱責されたというのです。その医師からは、次のように言われたそうです。

「ターナー症候群の人は、みな元気に暮らしているのに、それを羊水検査で調べようとするなんて、信じられない。」

 この医師には、そもそも学会に認定されていない施設で、認定施設が対象にしていないX,Y染色体に関する検査を受けたこと自体、許せないという考えもあったことと思います。そして、言下に、その後の確定的検査を請け負おうとしている当院に対しても不審の念を抱かれたのではないでしょうか。上記発言は、この方だけに向けたものではなく、検査を扱っている施設(認定外の野良NIPT施設も当院も全てひっくるめて)にも向けられていると感じられました。

 しかし、ターナー症候群が出生前に判明することは、よくないことなのでしょうか。

 ターナー症候群をもって生まれてきた人は、もちろん元気で暮らしている方が多いですが、いろいろな合併症を持つ人もそれなりに多いのです。中には、大動脈の奇形を持つ人もいますので、お産にあたっても慎重に対応する必要があります。あらかじめターナー症候群であることがわかっていれば、どのような症状が隠れている可能性があるかの推測に基づいて、詳しく検査を行い、準備をしてお産に臨むことも可能です。出生後にどういった医療機関で管理・フォローしてもらえるのか、育てていく上ではどういう注意と準備が必要なのかなど、あらかじめ考えて準備しておくことはたくさんあります。よくわからないままに生まれてきて心配するよりも遥かに、あらかじめ知っておくことのメリットは大きいはずです。

 人によっては、知的な問題がなくてちゃんと社会生活が送っていけるとわかっていたとしても、中絶を選択するケースもあるでしょう。不妊の問題が残る可能性などを気に病む人もいるかもしれませんし、もともと妊娠継続を迷っていたような場合などには、決断の理由が一つ加わることになる場合もあるかもしれません。人にはそれぞれの事情があります。

 もともと、なぜX,Y染色体に関する検査を受けたのかについては、その理由はわかりません。もしかしたら、あまり深い考えなしに『安易に』受けてしまったのかもしれませんし、「こういうこともわかりますよ。」という野良NIPT施設の甘言に乗せられてしまったのかもしれません。しかし、予想外の結果を得て困惑している人を叱責しても余計に追い込む以外の意味はありません。むしろ叱責すべきは、検査を『安易に』扱っている野良NIPT施設でしょう。

 そもそも検査結果は偽陽性である可能性もかなりあります。実際には胎児には問題がないことを確認して安心したいという気持ちも十分に理解できることでしょう。それだけでなく、胎盤や胎児そのものに染色体のモザイクが存在している可能性もあります。このような場合には問題は余計に複雑になりますが、そのようなケースも想定すると、ただでさえ陽性結果を受けてうろたえている人には、まず丁寧な説明をして事態をきちんと把握してもらうことが重要でしょう。

 ターナー症候群については、あらかじめわかるような検査はすべきではないという考えのお医者さんは、結構おられるように感じます。学会発表の時にそういった立場からの質問を受けて、当初質問の意図が理解できなかった経験もあります。しかし、前述したようにターナー症候群の胎児の99%は流産に至ります。その多くは浮腫が目立つので、妊婦健診で超音波を使用して胎児を見た時に異常を指摘されたことがきっかけで見つかることもかなり多いのです。いやでもわかってしまうケースが多々あるものについて、わからないままが良いと言うのは、無理があるのではないでしょうか。

正義感が強いのか?単に父権的なのか?

 このケースのように、検査を受けた、あるいは受けようとする妊婦さんを叱責してしまう医師は、根本的には決して悪い人ではないと思うのです。ただ少し、妊婦さんに対して父権的傾向があるのだろうとは思います。それと同時に、正義感が強すぎるのです。多くの場合、実際にターナー症候群を持つ方を外来でフォローしていたり、医師の立場にあるゆえにターナー症候群に関する知識をある程度持っていて、「実際にターナー症候群の方との接点がない人はよくわかっていない。知らないから恐れているのだ。そしてその恐れをもとに中絶に走る。」と考えがちなのです。

 実際にそういう部分は多々あるとは思います。〇〇症候群と言う名称を聞いただけで、何か悪いもののような印象を持ってしまう、あるいは、こういう症状があるという説明を聞いたら、それをもとに悪い想像が膨らんでしまう。といった具合に、物事を悲観的に捉えようとすればそりゃそうなるわなという思考パターンに陥ってしまうことも多々あると思います。でも、それは実は考えのごく一部でしかなくて、最終的な結論はさまざまな方向からの思考の結果になるはずなので、丁寧に話をすれば、それぞれの人がそれぞれの判断をすることにつながるはずです。

 多くの人は、冷静に考えれば物事に完璧な答はないとわかるのです。元気に生まれてきて何の問題もないと思って育てていた子どもに、予期せぬ病気が見つかることもあるし、何の病気もない健康な人でも、突然の事故に遭って不便を強いられる生活になることもある。何事も思い通りに行くわけではないのです。ただ、少しでも何らかの問題を抱えている可能性が少なくあってほしいし、いろいろと苦労をすることをあらかじめ考える状況でいたくない、という気持ちは自然なことだと思うし、だからこそあらかじめ検査を受けてわかることはわかっておきたいのではないでしょうか。

 病気や障碍を抱えていてもちゃんと生きていけるんだ、不幸なんかじゃないんだ、皆すばらしい価値のある命なんだ、社会の大事な一員として存在しているんだ、というのはもちろんなんです。だから中絶してほしくない、という気持ちも理解できます。だけど、だからと言ってどんな事情があろうと全員が産まなければいけないとも思いません。わかったら中絶してしまう人がいるから検査しません、検査すべきではありません、という考えは個人の考えとしては許容します。そして、その考えが正しいという立場からは、そう考えない人にその正しさをわかってもらいたいという気持ちになることもわかります。でも、検査をできる立場、請け負うことが可能な立場にいて、検査希望を受け入れない態度を取ることは、個人の考えの押し付けです。どんなに正しい考えであっても、強者の立場に立つものが押し付けようとすることは、良いことではありません。この考えが正しいということをわかってもらえるように、しかるべき場で発言し、普及を図ること、考えの異なる人たちと議論することはどんどんやっていいと思いますが、個人的な対応の場で、強者ー弱者の関係性が成立する場で、強権的な態度を取ることは避けるべきです。浅薄な正義感を振りかざしても理解は得られません。

私たちは、これから生まれてくる人が生きていく社会をつくって、これから生きていく人たちのためにより良いものにしていかなければなりません。どういう社会を形作って、どのように共生して行くことがより良い姿なのか、出生前検査・診断はこのことに大きく関わることだということを常に考え続けることが必要でしょう。