なるべく検査を行わないように誘導する心理は、どこから来るのだろうか。その1

出生前診断に関わっている中で、よくある相談として、かかりつけ医が検査に否定的という話があります。比較的多いのは、検査そのものの話すら拒否するような態度や、検査の相談をしたら諌められたというような話ですが、もっと具体的な、検査方法はそこにあるけれどもやる意味がないというような言われ方をしているケースがあります。

 例えば胎児の超音波検査を妊娠20週に行ったところ、染色体異常が疑われるサインが見つかった場合に、「羊水穿刺で染色体を調べることは可能だが、結果が判明するのに3週間かかるので、それで染色体異常が見つかっても中絶はできません。」とあらかじめ言われているケースがかなりあります。これはどういうことなのでしょうか。

 この説明には、複数の事情が絡んでいます。

1. そもそも羊水穿刺には流産のリスクがあるという考えが強くある。

2. 母体保護法に基づく人工妊娠中絶の実施要件に、胎児の異常という項目(いわゆる『胎児条項』)はない。

3. 迅速検査結果を確定診断としてはいけないという考えが根強くある。

ひとつひとつ解説していきます。

 

1. そもそも羊水穿刺には流産のリスクがあるという考えが強くある。

 羊水穿刺は、手技としてはそう難しいものではありません。単純にいうと、お腹から子宮内に細い針を刺して羊水を抜くだけですので、医師ならば簡単にやれるものの一つです。だから、産婦人科のお医者さんなら、数回はやったことがあるという人がほとんどなのではないかと思いますし、あまりきちんとした実践を積んでいないままに積極的に行う医師もいたりします。しかし一方で、この検査は海外と比較すると、日本における実施数はかなり少なかったので、数多くの実施経験がある医師は少数です。このため、多くの医師は万が一のトラブルを恐れて、あまり手を出したがりません。頻度が低いとはいえ、これを行ったばかりに流産させてしまった場合、取り返しのつかないことになるし、経験の少ない医師ほど流産率は高くなりがちというジレンマもあります。それに頻度が低い(通常、この検査によって流産することはほとんどない)だけに、自分が万が一それを起こしてしまったらということを考えると、心理的プレッシャーにもなります。たとえば、採血や注射といった単純な手技でも、上手な人と下手な人がいますが、それと同じようなものです。同じようなものなんですが、胎児の命に関わると思うと、よりプレッシャーは大きいでしょう。

 こういった事情から、あまり羊水穿刺に積極的でない医師は、それなりに存在します。そこに、以下のような事情も絡んできます。

2. 母体保護法に基づく人工妊娠中絶の実施要件に、『胎児条項』はない。

 これは、先日の出生前検査に関する専門委員会でも議論になっていましたし、このブログでも時々話題にしていますが、胎児の異常を理由とした中絶は認められないと頑なに考えている人が一定数存在します。しかし現実には、胎児に異常が見つかったことをきっかけとして人工妊娠中絶の選択に至ることは日常的に起こっています。考え方としては、胎児の異常はあくまでも中絶の選択に至るきっかけにすぎず、十分な支援が受けられない心配が根底にあり、主な理由は経済的な問題ということにするという形で、人工妊娠中絶が実施されます。このような現実的対応が受け入れられていることが周知の事実である中で、「胎児の異常を理由とした中絶は認められない」と主張することは、人工妊娠中絶の要件や法律のあり方などを議論する場ではありだとは思いますし、しっかりと議論を闘わせれば良いと思いますが、胎児や自分たちの将来を心配しているカップルに対して頑なな態度を示すことは、誠実ではないと思います。しかし、そのように自らの思想の正当性に疑いを持たない医師は一定数存在し、なるべくなら調べない方が良いという考えに誘導しようとしがちです。

 胎児の異常を理由に中絶してはいけないという医師には2種類あって、一つは、どんな命でも大事にしていくべきというプロライフ的考えの強い人、もう一つは、法律でそう決まっているのだと考えている遵法意識の強い人です。後者は、先輩医師から受けた指導に染まりやすい性質が強い傾向にあります。

3. 迅速検査結果を確定診断としてはいけないという考えが根強くある。

 胎児の染色体検査として、一般に最も多く行われている方法は、G分染法というものです。マダラ模様に染まった染色体が並んでいる写真を目にしたことがある方も多いのではないかと思いますが、染色体といえばこれといったぐらいに一般的です。染色体検査には他にもいろいろな方法がありますが、このG分染法しか知らない医師もかなり多いです。一般に、検査会社に染色体検査を依頼した場合、G分染法の結果が返ってくるまでに2週間から3週間ほどかかります。2週間以内にほとんどの結果を出してくれるラボが存在するので、3週間というのは少し長すぎるのではないかと思いますが、ケースによってはそのぐらいかかることもままあるので、伝えていた予定よりも遅れることを回避するために3週間と言っている検査会社や医療現場が多いのだと思います。

 しかしいずれにしても2週間という期間ですら、長く感じることは事実でしょう。心配している方としては早く結果が知りたい。そこで、より早く結果が確認できる方法として使用されているのが、FISH法やQF-PCR法です。日本の産科医療現場で最も多く採用されているのはFISH法です。この方法は、ある染色体の特定の部位に反応する蛍光プローブを用いて、顕微鏡下で蛍光を発している場所の数を確認することで、染色体の数の異常を見つけようというものです。早ければ2,3日で結果を得ることができます。どの染色体を調べるかによって、蛍光プローブをどこに反応させるか決めることが可能です。一般的によく行われているものは、頻度の高い問題を早めに知ろうというもので、21番、18番、13番、XおよびY染色体の数の異常を確認します。

 この方法の難しいところは、顕微鏡の視野の中にまばらに存在している染色体の発している蛍光の数を目で見て数えるために、重なり合っていたりした場合に、数え間違う可能性がありえるという部分です。このため、わずかではあるものの、判定が違っているケースが存在してしまいます。このことが、この方法による検査結果を確定診断にしてはいけないという考えにつながっています。

 しかし、このような問題は、通常は蛍光が重なっている場合に本来はトリソミー(3つ光っているはず)のところ、ダイソミー(染色体数が2本なので2つ光っている)と判断されてしまう、いわゆる『偽陰性』の場合が問題になるのであって、トリソミーと判定されたものが実は間違いだったということはほとんどないはずです。私たちが染色体分析を依頼している検査会社の一つ(私たちは検査内容に応じて複数の検査会社を利用しています)である、米国に本社およびラボのあるラボコープ社(日本国内窓口はラボコープ・ジャパン社)の資料によると、FISH法における偽陰性率は0.94%で、偽陽性率は0.17%ということになっているので、問題はこの0.17%がどのようなものかということになります。我々がこの会社に問い合わせた結果、その数値の根拠となる母数や実際に偽陽性と判定されたケースの詳細などはわかりませんでしたが、一例として、母体細胞混入の影響などによって、X染色体の数のカウントに影響が出たケースが考えられるという回答を得ました。この会社における陽性・陰性判定のポリシーなどもお聞きしましたが、その説明から考えても、常染色体トリソミー(例えば21トリソミー)について偽陽性になるケースはほとんど考えられないと思われました。

 ただ、検査会社の姿勢としては、この検査が確定診断ですと言い切ることには慎重な姿勢を保っており、FISH法の結果は、暫定的なものであるとの姿勢は崩していません。実はX染色体の数の判断には難しい部分があり、FISH法に限らず、私たちがよく依頼を送っている別の検査会社におけるQF-PCR法でも、X染色体の数の異常の可能性については、あくまでも疑いの域を出ないためG分染法で確認してほしいという文言がつけられています。

 この件について、例えば海外の臨床現場ではどのように扱われているのでしょうか。以前にこのブログでも取り上げた米国ACOGの指針では、以下のように記載されています。

FISH法の結果に基づく臨床的な方針決定は、少なくとも以下のうち一つの追加検査結果を含めて行われるべきである。従来の染色体核型分析(G分染法)、染色体マイクロアレイ、または、結果に一致する臨床的情報(例えば超音波検査上の異常所見、他のスクリーニング方法での陽性結果)。

つまり、例えば超音波検査で疑わしい所見があって、これを元に染色体検査(FISH法)を行なった場合や、年齢を理由に染色体検査を行なった場合でも、FISH法で得られた陽性結果に一致する超音波所見が見られる場合には、これらの情報をもとに臨床的判断がなされて差し支えないと考えられているわけです。

 日本では、検査会社が少しでも偽陽性の可能性があるという情報を出していたら、あるいは過去に偽陽性のケースが存在したという情報が耳に入れば、それはもう絶対的に確定診断ではないのだから、これを確定診断として扱って臨床的判断をしてはならないというような考えになっているのです。この考えはおそらく、元をただせばこの分野で地位を築いたある偉い先生がそう言うと、それが絶対的に正しい大事な教えとして下々に伝えられ、伝授されていくというような構図で引き継がれていると思われます。日本の多くのお医者さんは、FISH法を確定診断として使ってはいけないと信じています。中絶は重大な決定なので、曖昧な結果をもとに決めてはならないと、いわば義憤に駆られているかの如く頑なだったりします。超音波検査にあまり自信がないという一面もあるのかもしれません。

 

 このほかにも、日本では羊水検査で染色体を調べようということを考えるきっかけを掴む時期が遅くなりがちという問題もあります。医療機関によっては、胎児がなんらかの問題を抱えていることを調べる検査方法の案内を特に行なっていないところがあります(むしろそれが多数派かもしれない)ので、妊婦さんがたまたまどこかから見聞きして情報を得て医師に相談したときには、もうだいぶ妊娠週数が経過しており、検査のタイミングを逃してしまうという事例も耳にします。

 それにしても、まだ妊婦さんもそこまで考えていない段階で「中絶はできませんよ。」と言ってしまうこともどうかと思います。染色体検査の先には、中絶を考えることがありえると予測していて(時には超音波所見からその可能性が高そうだと思ってさえもいて)、「今から検査しても中絶はできません。」と言い切るのは、あまりにも冷たい対応ではないでしょうか。そして私たちから見て、それは決して正しい情報ではないこともあります。なぜなら超音波検査所見とFISH法などの迅速検査の結果が一致したものなら、その情報をもとに中絶を考慮することは、十分に可能な時期であることも多いからです。

 これらの問題の根底には、それなりに高い割合の産婦人科医が、人工妊娠中絶をなるべくしてほしくない、あるいはなるべく扱いたくないと考えていることがあります。人工妊娠中絶には、どうしても『命を奪う良くないこと』というイメージがついて回ります。教育の成果によって、この考えを強く持つ医師がそれなりに多いことも事実なのだと思います。また、先輩医師がそう言った考えを持っていると、その考え方が後輩医師に伝授されていくことにつながります。医師の仕事は、命を救い、命を育むことが基本です。その基本と人工妊娠中絶との整合性をどのように折り合いをつけるかは、なかなかに難しいテーマなのだと思います。究極的には、『命』というものをどう捉えるかで、ここを単純化してしまうと考えが浅いままに結論を出してしまい、違った考え方を受け入れられなくなったり、自分の考えを押し付けてしまったりすることにつながっているように思います。私たちは、多様な人々の多様な考えに常に耳を傾けつつ、常に考えを止めないで悩み続けなければならない立場にいると自覚しています。