業界内外にある分断の壁をどう切り崩すか

先日、日本における出生前診断・胎児診療の総本山と誰もが認める施設から、セカンドオピニオンの依頼がきました。当院は、そういう施設なんです。

産婦人科医でも、分野が同じ(周産期医療、妊婦診療を専門としている)人や、学会などに参加したり、論文を読むなど勉強している人は、われわれについてもよく知っているし、そういう専門的な施設なんだと認識しておられるのですが、同じ産婦人科医でも専門分野が違えば、大学の偉い先生であったとしても私たちのクリニックのことなど認識していませんし、専門的な学会などほとんど参加しないようなお医者さんだと、妊婦健診をやっている人たちでも、当院のことを知らない人もたくさんいらっしゃいます。そういう先生方は、下手をすると当院のことをなんだか胡散臭い施設だと思う方もおられるようで、、、、

 

 私の友人で、とある文系の博士号取得者が、先日行われた第1回NIPT等の出生前検査に関する専門委員会がマスコミで取り上げられているニュースを見て、SNSで「認定施設かどうかって、どこでわかるんだろう?」と発言していたので、ハッとしました。そうか、私たちが議論している世界は狭い分野の世界で、その外側の人たちの感覚はこういう感じなんだ、と気づいたのです。彼は、いろいろな新しい話題について敏感に情報を得ては分析を加えているような人間です。そのような人物ですらこの問題については、そういう認識になるのかと感じたわけです。自分たちが身内で大騒ぎしているようなことも、世間的には全く気にされていないことであったりするのでしょう。もっともっと情報発信をしなければならないと思いました。

 ことほど左様に、専門分野の壁というものは厳然と存在していて、また、住む世界の違い、取得する情報の量や質の違いなどで、人々は容易に分断されます。そしてそれは、業種の違いでの分断だけでなく、同業種の中にもはっきりとあることを実感することがあります。冒頭に挙げた問題も切実で、当院を受診された方々からもいろいろな話を伺います。

 先日、当院で羊水検査をお受けになった方は、現在通院中の病院の医師に当院で羊水検査を受けることを伝えた際に、「そんな怪しいクリニックで検査を受けるなんてとんでもない、胡散臭さ満点だ。」などと言われたそうです。同じ病院の別の医師からは、「そのクリニックは、有名な施設なのでよく知っています。しっかり検査を受けてきてくださいね。」と言われたそうなので、医師によりけりなのだと思いますが。また別の方は、当院で胎児の問題を診断されて、かかりつけ医でその件について報告したところ、「そんなことがこの妊娠時期にわかるはずがない。」と言われ、まともに取り合ってもらえなかったそうです。自分に知識や経験が足りないことについて、謙虚に考えることができないのでしょうか。

 最近、これまで2回の妊娠で当院での検査を受けていただき、今回3人目のお子さんを妊娠された妊婦さんが、連続して二人来院されました。とてもありがたいことなのですが、このお二人とも、以前の妊娠の時には、当院のFMFコンバインド・プラスを受けてくださったのですが、今回はNIPTをお受けになり、超音波検査のみを当院で行うという選択になりました。過去2回の妊娠で、当院での遺伝カウンセリングを受けておられますので、出生前検査に関する知識は十分ということもあって、NIPTは非認定施設で受けてくることを選択されました。この方々から、いろいろなお話をお聞きしました。

 一人の方は、もう本当に驚いたという口調で、「もうとんでもないことになってますね。そのクリニックでは、全く何の説明もなしに、ただ採血するだけでした。」とおっしゃっていました。もうお一人の方は、2回目の妊娠の時にもNIPTを受けておられ、「今回は価格がすごく下がっていてびっくりしました。」とおっしゃっていました。また、「最近はタクシーの中の座席前に設置してあるディスプレイでも、出生前検査について盛んに宣伝していてこれにもびっくりします。」とおっしゃっていました。こういった施設はどんどん増えていて、最近では価格崩壊というか、そういった施設同士で価格競争をしているような状況になりつつあります。彼らには医療者としての倫理観などかけらもないのだろうと思います。

 しかし、そういう施設であろうと、私たちのように本当の専門施設としてやっているところであろうと、情報が伝わっていない人にとっては、その違いがわかりません。ネット検索でヒットする方が選ばれるため、そういう宣伝にお金をかけているところが有利という残念な状況になっています。きちんとした情報を伝えるにはどうすれば良いのか、誤った選択をしないためにはどのように情報発信するべきか、いつも考えるのですが、なかなか難しい課題です。同じ分野の医師ですらわからないのに、医療関係ではない人にはよりわからないことなのでしょうしね。

 医者にもいろんな医者がいる

 娘がまだ小学生の時に、担任の先生から禁煙教育(今はあまりこの部分を積極的に行う時間がありませんが、当時私は禁煙推進にも力を入れていました。大学でも講義していました。)の講師役を頼まれて、小学校に講演に行った時のことを思い出しました。講演に先立って、教室にご挨拶に伺った時、娘のクラスの女の子が近づいてきて、こう言うのです。「〇〇ちゃんのお父さんは、お医者さんだから偉い人だって、お母さんが言ってたよ。」私は、その時えっ?と思って、「いやいや、お医者さんにも良い人もいれば、そうでもない人もいるんだよ。お医者さんだから偉いっていうことはないんだよ。」と答えました。職業によって偉いとかそういうことが決まるわけではないと伝えたかったのです。でも、そういう教え方をしている家庭はそれなりにあるんだろうな、と思いました。政治家などが地方の名士で、「先生、先生」と崇められていることなど、その際たるものです。私たちは、子どもたちに良い・悪いを自分できちんと判断できるようになる、基本的な考え方を教え、判断力を養う教育をしなければならないと感じました。

 私は、青臭いかもしれませんが、医師という職業に就く人は皆ある程度それなりの倫理観は持ち合わせているだろうと考えていました。そうでないと扱えない問題が数多くあります。何しろ人の命を預かる立場なのです。大学病院での勤務も長かったし、医学教育にも携わってきましたので、いろんな学生はいたけれど、自分がつく職業については皆それなりに真面目に取り組もうとしていると純粋に思っていました。しかし、今の立場になって、いろいろなクリニック、いろいろな医師がいることを耳にしたり目の当たりにしたりして、同じ医師でもこうも違うものかと思うことが多くなってきました。普段学会で議論したり、友人として付き合っていたり、SNSで繋がっていたりする医師たちと話をしている世界とは別の世界のちょっと違った人たちが、医師という一括りの中に厳然と存在しているようなのです。そういった人たちもはじめはそうではなかったのかもしれないけれど、長年働いているうちに残念なことになってしまったのかもしれません。ちょっと方向性は違うけれど、きちんとした業績を上げている医師でも、年齢と共に独自理論に嵌り、エキセントリックになっていく方もおられます。人というものはなかなか難しいものです。

価値観が共有できない人たちの存在を認める

 同業者の中にも存在し、難しいと考えさせられる分断や格差の壁ですが、別の業種でも同じようなことがあると思います。また、業種が違ったり、性格環境が違っていたりすると、その違いはより大きくなり、壁も高くなります。私たちが行っている遺伝カウンセリングのような仕事は、それらの違いを違いとして認識し、受け入れてはじめて成立する部分があります。自らの信条や学んできた常識などとは、全く違った考え方を持つ人に対したときでも、それはそれとして認める姿勢が望まれます。だから、この壁を必ず切り崩さなければならない、皆同じ価値観を共有しなければならないとはあまり考えないのですが(もちろん、社会をまとめていくにはそういう視点も必要なのですが)、そう言った違いを受け入れて同居しつつ、社会全体として軋轢のないように、そして、すべての人にとってより良い社会にしていけることを目指すというのは、そう簡単な話ではないことだと実感しています。

 思想信条の違いを無視したり、違いのある人を排除することも避けなければなりません。壁を作って分けてしまい、同じ価値観を共有できるグループの中にいるだけでは、世界全体が見えません。ともすれば強い道徳感・正義感を持つ人ほど、自らの価値観とが相入れない考えを否定しがちです。世の中には、明らかに倫理感を欠いていると思われる人もいれば、自らの正義を信じて疑わず間違ったことが許せない人もいて、そういった様々な人がいる前提で指針が示されなければ、ある人にとっては問題はないがある人にとっては窮屈なものになってしまうでしょう。

 今、私たちが出生前検査をどう行っていくべきかを議論していく上で、重要なことは、この分断の壁を切り崩して、どうひとまとめにしていくことができるのかではないでしょうか。壁を挟んで向こう側とこちら側とが、立場の違いを超えて、どう理解し合えるか。そのためには理解しようとする姿勢と努力が必要でしょう。

 遺伝カウンセリングに対する誤解はまだまだ存在している

 ところで、私の友人が見た記事は、以下の記事です。

この記事で提示されているグラフとその解説にも、気になる部分がありました。この記事では、主に認定施設と非認定施設の違いを取り上げているのですが、その比較の内容が明確なものと、そうではないものがあると感じました。

 例えば、「専門的なカウンセリング」という項目、何をもって「専門的な」カウンセリングが行われているとしているのか、これは単純に、「カウンセリングを行っていますか?」という設問に対する答えを集計しただけなのではないでしょうか。そこで行われている「カウンセリング」なるものは、本当に「専門的な」ものなのでしょうか。そもそも「専門的な」カウンセリングとは、どういうものを想定しておられるのでしょうか。

 また、事前に十分なカウンセリングを行っている「認定施設」では、検査を辞退する妊婦が一定数いますが、「非認定施設」では辞退する妊婦がほとんどいなかったということです。と記載されていますが、これは何を意味しているのでしょうか。妊婦が検査を辞退することと、事前に十分なカウンセリングを行っていることとの関連性については、この調査だけでは明らかではありません。なぜ、検査を辞退する妊婦が一定数いたことが、カウンセリングを行っているか否かと関係していると結論づけることができるのでしょうか。この論は以前にも聞いたことがあり、その時から気になっていたのですが、どうも検査前に行うカウンセリングが、検査を受けることに対する一定の抑止力になると考えている人がいるようなのです。この考えは、明らかに遺伝カウンセリングの趣旨を勘違いしています。また、認定施設の中には、遺伝カウンセリングの場で、検査を受けることをあまりお勧めしないような調子で話を進められるところもあるようです。むしろそのことの方が不自然な部分もあるように思います。

 出生前検査を行う上で、重要だと常々言われている「遺伝カウンセリング」ですが、その本質については、取材して記事を書くマスコミにも、そして実際に行っている医療者でさえも、十分に理解していなかったり、技術習得が不十分だったりすることがまだまだあるのではないかと感じています。

切実な本音

 本日も診療を行っていて、妊娠のごく初期の段階で当院に出生前検査の相談の問い合わせをされ、遺伝カウンセラーと話をしたのちに、最終的にNIPTを受けることを選択され、妊娠中期の超音波検査で当院に来院されたという方が複数おられました。本来ならば、出生前の胎児の問題に関わる様々な検査とこれに関係する遺伝カウンセリングを、日本中のどの施設よりも充実した体制で網羅的に行っていると自負している私たちの施設で、NIPTも選択肢の一つとして提示できることが、当たり前の姿ではないだろうかと思います。日本でもNIPTが実施できるようになった当初の段階で、NIPTコンソーシアムの会議にも参加していた私たちが、今もこの検査『のみ』扱えないまま、その部分だけ他院に持っていかれて、それらの施設では簡単に採血だけ行って多くの収入を得ている中、時間と労力と責任をかけて、一人一人丁寧に超音波検査を行なっていて、なんと効率の悪いことをしているかと思うと忸怩たる思いです。厚生労働省には、迅速に良い結論を出してほしいと、切に願います。一日でも早く、NIPTを実施したいです。

 今日の記事は、まとまりのないものになってしまいましたが、これもまあブログらしくて良いのかとも思います。この場で愚痴っているだけでも、少し発散できるものだと思いつつ、前向きに次の一手を考えていこうと思います。