「無脳症」のわが子を宿して ー 今ここにある出生前診断

 先日、宮城県立こども病院産科科長/東北大学大学院医学研究科教授併任の室月淳医師が、この度上梓された、『出生前診断の現場から 専門医が考える「命の選択」』(集英社新書)が、届きました。

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 彼は、常日頃から連絡を取り合って、情報交換したり議論を交わしたりしている、信頼の置ける専門医の一人です。まだ内容の全てを読破していませんので、読後に改めてとりあげたいと思っていますが、本日はこの本の帯で推薦者として名前が出ている、河合香織さんのyahooニュース記事を話題にしたいと思います。

news.yahoo.co.jp  さて、この記事ですが、いくつかのポイントがあります。

『出生前診断』は、ダウン症候群を見つけるための検査だけではない。

 まず第一に、『出生前診断』といった場合に、一般の方が思い浮かべるイメージやよくマスコミに取り上げられる話題は、染色体異常の検査、とりわけダウン症候群の発見に限定されてしまいがちであること。このイメージの限定、つまり、『出生前診断=ダウン症候群を見つける→中絶につながる』という単純化が、私が考えている以上に蔓延しているのではないかということが、気になっていました。そして、出生前診断とはそういうものではないということを可能な限り伝えていきたいという思いもあって、このブログを始めた経緯があります。しかし、私のブログ程度ではごく一部の人にしか気づいてもらえない程度の影響力しかなかったわけですが、このように名の通った作家の方がYahooニュースで出生前診断というのはただそれだけではないという記事を発表されることは、すごくインパクトがあることだと思います。

『出生前診断』は、知らないうちに実施されていることもある。

 次に大事なことは、『出生前診断』が、特別に用意された機会で提供されているものとは限らないという事実です。よく話題になるNIPT(『新型出生前診断』)は、あくまでもそれを希望した妊婦さんが受ける検査です。

 しかし、そうではなくて、妊婦の日常診療として普通に行われている『超音波検査』が、実は『出生前診断』につながるものであるということは、普段あまり意識されていないのではないでしょうか。妊婦健診で見ている超音波検査の、どこまでが単なる『サービス』で、どこからが『検査』なのか。その境界は極めて曖昧です。そしてそのことは、受診する妊婦さんやその家族だけが自覚していないだけでなく、実際に行なっている医療者側の多くも、あまり厳密に考えていないで、無自覚に行なっているのです。その上、告げられる側にとってはすごく重みのある話を、あまり深い考慮なしに伝えられてしまうということが、現実に多く起こっています。この問題点は、以前から指摘してきましたが、なかなか改善されないまま今に至っています。直近では、以下のような記事も書きました。

https://www.fmctokyo.jp/archives/2381

今回の河合香織さんの記事も、この点を指摘している記事です。そして、その中で林伸彦医師が、胎児にみられた問題についての情報を伝えられるか否かの判断を、妊婦本人や胎児の家族が行なっておらず、医療者側が決めてしまっているという点を指摘されています。この点についてもっと焦点があたり、受診する側の方々も自覚されれば、診療を行う側へのインパクトにもつながるのではないかと期待します。

胎児が生きられないから選んだ人工妊娠中絶なのに、なぜ経済的理由になるのか。

 そしてもう一つ、この記事の中で重要なポイントがあります。それは、胎児が『無脳症』と診断された結果、人工妊娠中絶を行うことになった場合の、その理由が、『経済的理由』とされてしまうことです。この記事では、これに違和感を感じた方の経験談が取り上げられています。なぜそうなってしまうのでしょうか。

 そもそも、胎児の異常を理由に妊娠を中絶することは、母体保護法上の人工妊娠中絶を行うことのできる要件には含まれていません。このこと(『胎児条項』といいます)を要件に含めるべきか否かという問題は、ずっと議論の対象となってきました。いや、正確に言うと、時に議論の対象になるものの、実はあまり表立っては議論されず、むしろ触れてはいけない領域、タブーとされてきました

 このために、現実には胎児に問題があることを理由に中絶を行う場合にも、『経済条項』を転用することで、いわばグレーな判断のもと、合法化されてきました。この母体保護法14条の適用の判断は、『母体保護法指定医』に委ねられており、そして国および司法は、専門家としての『指定医』の判断に信頼を置いて尊重するということで治められて来たわけです。

 しかしこのことは、当事者である妊婦の心情には何の考慮も置かれていないやり方ですし、その事実はあまり知られていないから(中絶の問題自体をタブー視して、表に出さない文化的背景もあって)、実際に経験した当事者の心が傷ついていても、そのままになっていたのです

胎児条項を巡る議論

 この『胎児条項』の問題は、すごく難しい問題で、簡単には結論が出ません。『胎児条項』の容認論の根底には、優生思想が存在するという批判は必ず出てきます。この議論は、昔は妊娠中絶に限った問題でしたが、医療の進歩とともに、着床前診断やキャリアスクリーニングといった、新しい技術を使用する適応をどうするかの議論にも関わってきます。日本におけるこの種の議論の中で必ず出てくる、『重篤な疾患への罹患の可能性』を一つの基準にするという考え方も、何を持って『重篤』と判断するのかの線引きなど、簡単ではない問題があります。

 いったい誰が、どのような基準で線引きをすることができるのか、その基準は本当に客観的なもの、普遍的なものと言えるのか。世の中には様々な難病があって、しかし遺伝子解析技術の進歩は、それらの原因の特定に寄与しつつあり、ではどのような疾患は予防の対象となるのか、われわれは検査技術をどこまで応用すべきなのか、考えなければならないことは急速に増えつつあるのに、議論は何十年か前の時点で止まっているのが現状です。

 そんな中で、今回取り上げられている無脳症などは、むしろわかりやすい一例のはずだと思います。なぜなら、現時点で明らかに有効な治療法がなく、出産の先に希望がないことが明確だからです。それでもなお、様々な問題に翻弄されるのですから、出生前診断というものは、本当に難しい問題を扱っているのだということがわかります。

 先にも述べましたが、そういう自覚なく妊婦健診の場で、胎児の異常の可能性について安易な宣告がなされてしまうことは、大きな問題だと思っています。そのことも含めて、このブログでも何度も言及しているように、人工妊娠中絶の問題は、今のグレーな判断で表面上うまくいっているように見える状況に安住するのではなく、より良い形に変えていけるように議論しなければならないと考えています。

 中絶の問題については、このブログでも多くの記事を書いてきています。ぜひ、カテゴリー『人工妊娠中絶』の記事を参照していただけるとありがたいと思います。

この短い記事の中に、重要な課題が凝縮されていて、そしてそれらがわかりやすい形で提示されていることは、テーマの選び方や取材対象からの情報の取得の段階でのポイントの押さえ方などが優れているからで、さすが数々の受賞歴のある作家さんは違うなと感心しました。そのプロが推薦している室月先生の本を読むのが楽しみですが、この記事を書いているうちに寝る時間になってしまいました。若い頃のように夜を徹して本を読むような気力が今の私にはありませんので、今日はゆっくり休ませていただいて、明日以降に時間を見つけて手に取りたいと思います。

https://www.fmctokyo.jp/about