第55回日本周産期・新生児医学会学術集会 シンポジウム4「新型出生前診断(NIPT)が、優生思想に流れないために」 噛み合わない議論

2019年7月13日から15日の3日間にわたって、長野県松本市で開かれた、第55回日本周産期・新生児医学会学術集会に参加してきました。表題のシンポジウムがあり、流石にこのことに言及しないわけにはいかないでしょう。

本当のところ、今回の学会には当院から一般演題を2題出していたものの、このシンポジウムを含んだプログラムを目にして、ちょっと行くのが躊躇われるような気分になっていました。NIPTの今後についての建設的な議論になるとはあまり思えないような、企画意図が今ひとつよくわからないものに思えました。何といっても長野県といえば、信州大学のお膝元、日本医学会認定のNIPT実施施設がなく、NIPTをはじめとする出生前検査に消極的な地域(住民がというわけではなく、専門家側が)です。

一昨年の周産期学シンポジウム、昨年のこの学会のシンポジウムと、出生前検査・診断の話題で私が登壇した機会に際して、必ず検査に反対する立場からの意見開示をしてきた、窪田昭男・前和歌山県立医大教授(現・月山チャイルドケアクリニック名誉院長)が座長で、仁志田博司・東京女子医大名誉教授がシンポジストに名を連ねているということで、もう頭がクラクラしそうになっていました。

そのほかの登壇者は、もう一人の座長が高橋尚人・東大病院小児・新生児集中治療部教授、シンポジストには、左合治彦(国立成育医療研究センター)、青木美紀子(聖路加国際大学・認定遺伝カウンセラー)、福原里恵(県立広島病院新生児科)、姫路まさのり(放送作家・ライター)、玄侑宗久(作家・臨済宗福聚寺住職)、鈴木利廣(弁護士)、海野信也(北里大学教授・産科)というメンバーが名を連ねていました。いろいろな分野からの意見を聞こうという意図はわかるのですが、果たして適切な人選だったのか、疑問が残ります。おそらく座長の意向が反映されていたものと思います。

この中で産婦人科医は二人。左合氏はNIPTコンソーシアムを代表する立場から、これまでの実績についての説明役として、海野氏はもしかしたら主催者側は産科婦人科学会の立場も期待していたのかもしれませんが、学会を代表する立場ではなく(そもそもこの学会の倫理委員長でもなければこの検査の登録委員会の関係者でもありませんので)、産婦人科医を代表する立場として発言がありました。

結論から言うと、悪くない終わり方でした。今後の実施体制をきちんと考えて整えていこうと言う前向きな雰囲気で終わったと感じました。厚生労働省の母子保健課長も同席しておられましたので、しっかりとメッセージは伝わったように思います。当初、全く期待していなかった(というか、どれほど落胆することになるだろうかと思っていた)ために、意外と悪くなく感じたのかもしれません。大きな問題となっている、非認定施設の横行については、何も有効な対抗策がないままで時間ばかり過ぎていく問題点は何も解決に繋がらなかったことなどを考えると甘いかもしれませんが。

なぜ悪くないと感じたかというと、二人の産婦人科医が頑張ってくれたからでした。特に海野教授は、私たちは女性の健康を守る使命があり、妊娠・出産に関する女性の自己決定権を尊重する立場にあることや、NIPTはあくまでも複数の出生前・胎児検査のいち手段にすぎないこと、確定検査に進むべきか否かを決定するための検査にすぎないことなどを明確に説明され、過去に日本産科婦人科学会が決めた指針や、厚生労働省の通知などの根本的な考え方が、現在では時代に即していないこと、妊婦さんたちがきちんとした情報提供の元に主体的に判断する能力を尊重すべきことを示され、その観点から検査の普及を止める選択肢はあり得ないので、普及を前提にどのような仕組みを作ることが望まれるかの具体的考え方を提示されました。理路整然としていたし、現実的な話でもありました。

この後の総合討論では、少なくとも「このような検査が広がるのはけしからん!」というような以前に窪田氏が主張しておられたような意見が前面に出ることはなく、検査の普及を前提として、どのような形を整えていくべきかという話になったような印象がありました。何より、普段私たちに対立するような立場のように感じていた仁志田氏が、むしろ私たちの立場に歩み寄っているように感じられる発言があったことが印象的でした。ただし、「NIPTで陽性だった場合には、羊水検査を義務付けなければならない!」と、この点が特に大事という感じで何度も強調しておられたことに関しては、私はちょっと違っていると感じましたが。

途中少し、小児科医側からの発言に対して海野氏が気色ばむというほどではないけれども、やや強い調子で反論・追及される場面などもありましたが、全体には悪くはありませんでした(私自身が産婦人科医であり、海野氏の話が私の言いたいこととかなり一致していたこと、左合氏も頑張ってきちんとした意見をしてくれたことから、途中の首を傾げたくなるような話が帳消しになった部分もあって、肯定的な印象を持ったのかもしれませんが)。

まあそれにしても議論はあまり噛み合うものではなかったように思います。その原因はと考えると、どうもこの検査(NIPT)が、どういう位置付けにあるのかの認識に違いがあるからではないかと思われました。以前から感じていましたが、この検査に対して批判的な意見が出るときに、そういう立場の人たちはどうも生まれてくる子どもや現在生活している障害者のことが全部見えているわけではなく、ダウン症候群のことしか考えていないのではないかと思われます。産婦人科医は先天的な胎児の問題には様々なものがあることを知っているし、この検査もダウン症候群のみがターゲットになっているわけでもないし、この他にも色々な検査の選択肢があることも意識しているのですが、検査に反対する人たちはダウン症候群のことしか頭にないような印象があるのです。

この議論を聞いた後に、いろいろと考えたのですが、私はやっぱりどう考えてもこの問題は、検査を提供する/提供しないの問題で考える次元の話ではなく、受ける/受けないは自分で決めてもらう形で幅広く受け入れ可能にすべきだと思うのです。むしろ議論すべき本質的部分は、妊娠中絶をどう考えるのか、どう扱うのかのところになるはずだと思うのです。みんな本当に議論したい部分、議論しなければならないと思っている部分はそこのはずなのに、その議論は避けて、「中絶につながる検査だから倫理的にどうこう、、」と言われても話にならないとしか思えません。私たちはいつこの本質的な議論にたどり着くことができるのだろうか、と考えています。

そういえば、今回のシンポジウムの中で、この部分に関連した話を担当した人がいました。弁護士の鈴木氏です。しかし、この方の発言は正直耳を疑うような部分がありました。彼は、母体保護法は本来堕胎罪の対象となる人工妊娠中絶の違法性を阻却する要件を有しているが、これが拡大解釈されている現状には問題があって、今後より厳密に適用し、違反に対する罰則もきちんと行われるようにしていくべきであるというような発言をされました。私はもう少し現実的な話や、今後の堕胎罪や母体保護法の考え方を、リプロダクティブヘルス/ライツの観点から見直す必要性などに言及してくれる人の話が聞きたかった。このような特殊な立場の弁護士さんが出てこられるとは思っていませんでした。この方の存在が論点をより不明確にしてしまっていたように思います。明らかにミスキャストと思われました。なぜこのような方が選ばれたのか、不思議に思います。なんとなく犯人はわかるような気もしているのですが、、、、