胎児超音波検査を行う時期に、医師個人の価値観が反映されている。

 ホームページをご覧になるとわかると思いますが、当院で設定している胎児超音波検査には、妊娠初期の超音波検査と妊娠中期の超音波検査があります。この二つは、海外で行われている検査に照らして言うと、前者が、第1三半期の検査(First trimester screening)、後者が第2三半期の検査(anomaly scan)ということになります。

 第1三半期の検査は、従来より3種類のトリソミーの可能性を知るために行われてきたものですが、近年その役割は拡大(逆にトリソミーの検出という点についてはNIPTの導入以来縮小)してきていて、これまで妊娠中期に行なっていた胎児の異常を見つける検査の要素が大きくなってきています。

 第2三半期の検査は、胎児の異常を見つけることを第一目的としており、主に妊娠20週前後(18週から22週ごろ)に行われます。異常と一口に言っても様々なものがあるわけですが、多くは第1三半期にすでに染色体トリソミーについては確認を行われている前提で、むしろ胎児の体のつくり(これはトリソミー以外の染色体の問題でも起こりうるし、染色体が正常でも病気は起こる)の異常を早期に発見し、対処方法を考えることが目的となっています。ここでの検査の結果次第では、分娩する施設を設備の揃った、そして生まれてすぐの赤ちゃんの管理が可能な病院に移すことや、あらかじめ手術の準備をした上で分娩に臨むこと、また場合によっては胎児のうちから治療を行う選択肢についても検討するなど、対応を考えることになるわけです。

 このいわゆるanomaly scanですが、諸外国で一般に行われている(また、日本超音波医学会や日本産科婦人科学会でも検討している)この検査に最も適した時期として考えられる、妊娠20週前後に行うことが普通です。ところが、この検査について、わざわざ妊娠24週とか、28週とか、要するに22週を過ぎた時期に設定している医療機関があります。

 以前から、そういうところがあることは知ってはいました。しかし、最近、そのような施設が多くなってきているような印象があるのです。日本では、そういう検査を全く行なっていない施設も数多くありますので、やっているだけましというものなのかもしれません。が、しかし、なぜ最も適した時期を外すのでしょうか。

 この検査の時期をわざわざ妊娠22週以降にしているのは、要するに人工妊娠中絶を忌避しているのです。何があっても妊娠中絶の選択肢がない時期を選んでいるのです。

 ここには、いろいろな考えが反映されています。一つは、何しろ人工妊娠中絶を認めたくないという考えです。例えばその病院の運営母体がキリスト教会出会ったりすると、宗教的理由で妊娠中絶自体を行なっていない場合があります。行なっていないだけでなく、思想的に避けるという姿勢なら、妊娠中絶につながることはなるべく避けようとするのでしょう。

 宗教的理由とは別に、母体保護法を厳密に適用すべきという強い遵法意識に基づいている場合があります(これを倫理観という人もいます)。母体保護法のもとで、指定医が妊娠中絶を行うことができる要件の中に、胎児の異常という項目はありません。これは昔から時々議論になっていて、『胎児条項』と言われているのですが、現状の母体保護法では、この条項は入っていません。つまり、胎児に異常があるという理由では人工妊娠中絶は認められていません。このことを厳密に守らなければならないと硬く考えている医師は、それなりの数存在します。その結果、妊娠中絶を選択してしまう事例が起こることを避けるべく、平成2年3月の厚生事務次官通知で示された、胎児が母体外において生命を保続することができる時期の目安としての妊娠22週よりも後に設定しているのです(この時期については、本来ならば個々のケースにおいて違いが生じてしかるべき(そもそも胎児それぞれの発育状況や病気があるかないかの事情によっても生きられるかどうかの状況には差があるはず)なのですが、なぜかほとんどの母体保護法指定医は、これについて自己判断する意思を持たず、一律に22週という数字を後生大事に守っているのです)。

 しかし、一方で現実に眼を向けると、わが国では年間約20万件弱の人工妊娠中絶が行われており、年齢階層別では20〜24歳の妊婦の割合が最も多く、そのほとんどが経済的理由であるという現状があリます。この、『経済的理由』の中にはもちろん、胎児に問題があることを指摘されたという人も含まれている可能性はあるのですが、そのほとんどは、胎児には何の問題もなく、単純に望まれない妊娠ということだと思われます。

 ただ単に、もともと望まない妊娠であったなら、それほど問題視されることもなく中絶の選択が可能なのに、いざ胎児に異常があることがわかった場合には、その選択は容易ではないという現状があるのです。そもそもこれらの妊婦さんは、妊娠がわかった後の比較的早い段階で継続は無理と考えて中絶を選択した方々とは違って、妊娠について前向きに考えて、子供が欲しいと望んでいた人たちなのです。しかし、胎児の異常を指摘され、病気のある子供を育てていくだけのキャパシティが自分たち夫婦にあるのだろうかなどという大きな不安に直面し、葛藤している人たちなのです。そのような辛い状況にある人たちに対して、医療現場は寛容ではなく、むしろ頑なに「胎児異常を理由に中絶はできない」と言い、(悪い言い方をすると)なし崩し的に産んで育てることを強要する姿勢をとるのです。

 胎児診断を長年行ってきた経験からは、いろいろなご夫婦に遭遇し、私たちの考えとは違う選択に心を痛めることも多々ありました。私たちは、いろいろな病気の赤ちゃんを見てきたし、多くの疾患が、新生児科医、小児外科医、小児循環器科医たちの努力の結果、治すことが可能になってきたことを目の当たりにしてきました。だから、胎児に病気が見つかっても、治療可能な道筋をなんとか考えたいといつも思います。しかし、一般の方々の考え、思いは皆同じではありません。どんな状況でも可能な限りの治療をして欲しい、なんとか頑張って育てていきたい、と考える人もいれば、生まれつきの病気など耐えられない、頑張って育てていくなど考えられない、という人もいます。その中間でいろいろと葛藤する人も多いのです。それぞれの家族にはそれぞれの事情もあります。一筋縄ではいかないことだらけです。どんなに丁寧に説明しても、想いが通じないことなどいくらでもあります。もともとの価値観が違えば、わかりあうことは簡単ではないのです。

 この病気なら確実に治る、治療後は全く普通の人として生きていける、ごく普通に生活できる、ということが明らかな疾患であると判断されても、そしてそのことを一所懸命説明しても、中絶したいの一点張りで結論が揺るがない夫婦もいます(このような場合にはもしかしたら別の理由があるのかもしれません)。ある時などは、もう妊娠30週を過ぎているのにも関わらず、中絶したい、なぜ中絶できないのだ、できる場所を教えて欲しいと言い張り、私たちは法と倫理の元に医療を行なっているのだと説明しても、聞く耳を持たず、結局話し合いは物別れに終わり、行方不明になってしまった妊婦さんもいました。

 こういう経験は、医師にとっていわば『心が折れる』経験であり、このような経験を元に、なるべくなら中絶を選択してほしくない、ならば中絶が認められない時期まで検査は行わないでいようという考えになっていくことも、わからないでもありません。しかし私は、そうやって自由意志による選択の機会を奪うことは、よくないことだと考えます。世の中には、本当にいろいろな考え方があります。正義感も倫理観も一定ではありません。日本にいるとあまり感じられないかもしれませんが、海外に行くと文化や宗教の違いも大きく、理解し合うことが容易でない場合も多々あります。そういった様々な人たちに対して、自らの価値観を元に画一的な対応をすることは、ある意味横暴ではないでしょうか。

 そんなわけで、私は、胎児の異常(病気)を発見することを目的とした超音波検査を妊娠22週以降に設定している医師は、(自分では、どんな命にも生きる価値があるのだから産んで育ててあげたい、という命と向き合う暖かい心を持っていると考えているのかもしれませんが)多様な価値観に向き合わず自分の考えを押し付ける、横暴な人だと思っています。

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 この問題に関連した別の側面もあります。

例えば一部では、ちょっとでも問題があると思われると、診断も明確でないのに妊娠中絶を勧める医師もいますし、妊娠21週ごろに見られた胎児の所見をもとに、まだ明確な診断がつけられない段階で、妊娠を継続するか中絶するかを数日で決めるように伝える医師もいます。これはこれで問題で、そうしたくないから22週を過ぎるまで超音波を行わないという人もいるのでしょう(それはそれでダメだと思いますが)。

このあたりの事についても、いずれこのブログで取り上げたいと考えています。

根本には、母体保護法のあり方、考えかたの問題があります。これを議論して、改善していかなければならないと思っています。それが最終目標かもしれません。