出生前検査の実施について管理する立場の医師は、もっと謙虚かつ寛容であるべき – 日本人類遺伝学会に出席して

先週末、日本人類遺伝学会第63回大会と、それに引き続いて行われた全国遺伝子医療部門連絡会議に出席してきました。

ここで話題にしている問題に最も関連しているプログラムとして、『シンポジウム20  5年間の臨床研究から見えてきたNIPTの現状と将来への提言』がありました。

このシンポジウムは、座長2人も4人のシンポジストも皆『NIPTコンソーシアム』参加施設のメンバーであり、基本的にこのグループがやってきたことと今ある問題点について、そしてこの先どうするかということについて議論を行う場でした。

NIPTを実施して集めたデータの話は、これまでにも類似の講演会や学術集会で聞いてきた話とそう変わった話があるわけではありませんでした。検査感度や陽性一致率、偽陽性例や偽陰性例の動向とその原因についてなどの話題に続いて、やはり問題点として明らかになってきたことは、認可施設における実施数が頭打ちになってきていることでした。そしてその原因として最も大きいものは、頭打ちになった時期から考えていわゆる『無認可施設』が林立し始めたことです。『無認可施設』において検査が数多く扱われていることは、検査結果が良くなかった場合や予想外のものであった時など、また判断保留など扱いの難しい結果が出た場合などの対応が全く信頼できないこともさることながら、そういった問題についての情報の蓄積がなく、この検査の精度管理や検査技術の改良など、検査を継続的に行っていく上で大事な検討が阻害されることにつながります。そういった問題点について、専門家集団が情報や認識を共有するということが、このシンポジウムの目的と考えられていたと思われます。

しかし、そんなことはわかっているのですよ。じゃあどうすればいいのかという具体的な良案が、何も浮かんでいないのです。いや、産婦人科医を対象に学習の機会を作って、遺伝診療について学んだ実績を示す文書を付与し、これを利用して将来的に検査実施施設の拡大につなげられるようにしようと構想されていることは耳にしています。もちろん、一般産婦人科医が、遺伝的検査や遺伝医療について学ぶ機会を持つことは大事なことだと思います。お医者さんたちはもっと継続的に勉強し続けないといけないと思っています。しかし、そういう仕組みづくりは結局、今までの規制を少し緩めるというだけのことで、根底にある考えは変わっていませんし、今の問題を解決するのに本当に有効なのか疑問です。

シンポジウムの中で、気になる発言があったので、フロアから意見に立ちました。『無認可施設』に数多くの妊婦さんが殺到する理由の分析についての言及で、「妊婦さんたちが『安易に』検査を受けようとする。面倒なカウンセリングは受けたくないと避ける」傾向にあるので、これをなんとかしなければならないというのです。まるでそういう施設に行く妊婦が悪いというような論調です。そういえば、『無認可施設』で検査を受けたことを産科診療の場で責められたというような体験談を耳にすることもあります。でも、悪いのは妊婦なのでしょうか??

検査実施体制を構築しようという議論に携わっている医師たちの中に、このような考え、態度の人が少なからずおられるようです。そういえば日本産科婦人科学会の出生前検査についての文書にも、『安易な』中絶といったような文言を見かけることが良くあります。どうもお医者さんたちは、「軽い気持ちでよく考えもせずに検査を受けるなどというのはけしからん!」とお考えのようです。そして、自分たち専門家が、きちんとした情報を与えて(まあこれはいいのですが)、教育するような気持ちでおられるように感じます。

でも今時、いろいろな情報を皆さん得ておられますよ。情報の得かたや処理の仕方が上手でははないために、間違った知識が固まってしまっている人もそれなりにはおられますが、これはきちんとした情報を出せていない専門家側にも非があります。でも結構調べたり、気にしていろいろと考えたりしておられると思います。それは何も考えてないような人もいますよ。文字通り『安易な』人たちも一定数おられると思います。世の中にはいろいろな人がいるので、仕方がありません。みんなが同じような考え方、思考力、教養レベルというわけではないのです。でもそれは仕方がないのです。もう大人なのです。きちんと考えることをしない大人になっている人に対して、たかだか60分ほどの時間、堅苦しいお勉強のような話をして、考え方や生き方の姿勢を変容させることができると考える方が無理がある。でも、『安易な』選択をする人がいては良くないという医師たちは、一人でもそういう人がいると、もうほとんど全ての人が同じように考えてない人のように感じてしまうのです。「これではいかん」と使命感に燃えてしまうのです。ちょっと冷静に考えましょうよ、ある程度の諦めも必要なのではないですか、と私は言いたい。いや正直、私も専門的立場じゃなかったら、『安易に』検査を受けるかもしれません。だって、検査を受けた人の98%が『陰性』の結果をもらえる検査なんですよ。ほとんどの場合、『安易な』気持ちで受けても問題ないのです。

事前のカウンセリングは夫婦揃ってでなければならないという規則が当たり前のことだと思っている医師も多いんです。なんでわざわざ夫婦で行かなければならないんだ。わざわざ仕事を休んで、夫婦揃って行かなければならないなんて、それも予約可能な日は限られていて、選択肢は少なかったりする。どうしてそんなにハードルが高いの?病院によっては、2回来いという所もあるのですよ。夫婦で話を聞きたい、夫婦で聞いた方が良いと考える夫婦は、カップルで行くという選択で良いじゃないですか、どうして義務にしなければならないのか。こういうところにも上から目線を感じます。

結局そういう医師の側の理想論というか、「こうでなければ許されない」とでもいうような硬い姿勢が、認可施設の壁を厚くしていると思うのです。検査を必要としている人の方を向いているように思えない。一方で、『無認可施設』の多くには理念などなく、市場原理で動いています。ニーズに直結しています。集客(こういう表現は適切ではないと思いますが)面で考えると勝ち目があるわけがありません。

私は、「今ある規制が強すぎることを見直す必要がある。そのことはある程度共有されている感覚だとは思うが、今後の検査体制を考える上で、妊婦が安易な選択をすることを諌めなければならないというような考え方を改めるべきではないか。」という内容の発言をしました。不十分な情報や知識不足からくる情緒的な選択が少しでも少なくなるようにする努力は継続する必要があると思います。しかし、検査を扱う医師の側が、知識のない素人を教育するような気分でいるとしたら、いつまでたっても今ある施設認定の問題や、無認可施設の横行を解決することができないでしょう。しかし、私の発言は、私の意見をぶつけた相手によって途中で遮られるような形になってしまいました。この態度に私は失望しました。自分たちがやってきたことや自身の考えに対して、少しでも批判的なことを言われたときに、ムキになって発言を遮るような態度をとるようでは、様々な立場、それぞれ違ったバックグラウンドを持つ人たちにどう対処しておられるのか疑問です。

出生前検査について実施基準を作って管理しようとする立場の医師たちや、その基準に従って実施する立場にある医師たちの多くが、何かに縛られたように凝り固まった考え方を持っているような気がするのは、私だけでしょうか。こういう立場の人たちこそ、もっと違った意見に耳を傾ける謙虚さ、様々なバックグラウンドを持つ人たちの考え方の違いを受け入れる寛容さをもたなければいけないと思います。障害を持つ大人や子供たちの多様性を尊重しなければならないことは、当たり前のことなのですが、そのことをご立派に大上段から説く人に限って、検査を受けようとする側の人たちの多様性に対する寛容性を持ち合わせていないように感じられることは、何か偉い立場の専門家になって指導するという気持ちが強く、本当の意味でのフラットな寛容さを持っていない人なのではないかと感じるのです。

このような難しい仕事を任せられるような先生方は、立派な実績や経歴をお持ちの方々なのだとは思います。そして、その実績や経歴によって尊敬される立場で、いつも他の人たちから専門家として認められ、専門的な立場からの意見を求められることと思います。だからといって、自分の考え、意見が常に正しいと思い込んではなりません。自分の知らないことや自分が実は誤っていることが、絶対にないはずはないのです。どんな専門家でも、唯一無二ということは普通ないのです。新しい画期的な知見が出てくることは、確実にあるはずなのです。その分野の第一人者であればあるほど、常に謙虚な姿勢を忘れてはいけないのです。そして、世の中には自分と違う考え方をする人が大勢いて、それでも共存していく必要があるのです。村社会ならまだしも、世界が広がれば広がるほど、排除の論理ではダメなのです。

責任ある立場の医師たちに、もっと謙虚かつ寛容な姿勢であってくれることを、切に望みます。