18トリソミーに関連した議論に感じる違和感(2)

(つづく)と記した前回の記事から2カ月が経ってしまいました。ブログ更新が滞っていたことには、特別な事情があるわけではありません。ただ単に仕事に追われていたのですが、GWでリフレッシュして、また頭を整理し始めています。

 

さて、前回の続きです。

18トリソミーのお子さんたちの治療方針・成育支援を考える上で、実際にどのような取り組みがあって、どのように治療・支援をおこなうことで、どう育つのか、どういう経過をたどるのか。そういった情報が集められ、指針が更新されていくことには大きな意義があるし、また世界的に見ても貴重な情報になると思われます。こういった仕事に従事しておられる医師や医療スタッフの方々の取り組みは素晴らしいと感じています。しかし、これが“遺伝を考える”シンポジウムの半分を占めるテーマになり、そしてこの取り組みについてのみ語られ、その陰にある現実には触れられていないことには、出生前診断を日常扱っている立場として違和感を感じたのです。

 

18トリソミーの診断が、生まれてきてから、あるいは生まれる直前の時期になってからはじめて診断がつくという事例は、先進国では考えられない事態になりつつあります。なぜなら、18トリソミーのお子さんにはさまざまな典型的特徴があり、超音波検査で容易に診断がつくからです。

国際産科婦人科超音波学会(ISUOG)の機関紙・Ultrasound in Obstetrics and Gynecologyの2005年のeditorial(編集記)の中で、遺伝学的(胎児)超音波検査が、熟練した検査者によって前方視的、網羅的、かつ標的を定めた手法で妊娠19週から20週の時期に行われた場合、すべての18トリソミーの胎児が発見されるであろう。と述べられています。そして、血液検査や超音波スクリーニング検査で18トリソミーの疑いがあるというすべてのケースに対して羊水穿刺をおこなうという20年前の方針は、今後放棄されるべきだと述べています。つまり、胎児の検査・観察をしっかりとおこなう体制が整えられていれば、すべての18トリソミーが妊娠中期に発見されるということなのです。もう10年以上前の話です。

これは、18トリソミーの赤ちゃんが生まれてくることはないということを示しているのではありません。診断がついた後に、どのような選択がなされるのかは、個々の家族の信条や事情、所属するコミュニティーの状況などによって違ってくるでしょう。出産に至るケースもあれば、中絶が選択されるケースもあるでしょう。しかしながら、いずれにしても、比較的早い段階で診断され、情報提供に基づいた心の準備があって、妊婦および家族の判断がおこなわれるのです。

日本では、このような体制は整えられていません。

情報提供もなく、判断する時間もなく、突然に難しい問題に直面することになるケースが、今も多く存在しているのです。“あるがままを受け入れる”悟りの境地に至るまでに、どれだけ多くのストレスにさらされることでしょう。

現存する技術を駆使することによって得られる判断・選択の機会、それも多くの先進国ではあたりまえに享受できるものが、この国の妊婦には与えられていない。それで良しとされている現状で、果たして良いのでしょうか。

このことを議論するとテーマから逸れてしまうので、今回のシンポジウムでこの点に触れられていないことは理解しますが、私と同じような違和感を感じた方は、参加者(特に産科を専門とする医療従事者たち)の中には多くおられたことと思います。むしろなるべくこの方面の話には触れないように気が使われていたようにも感じます。まるで、18トリソミーが出生前の早い時期に見つかることなどないかのような前提での話に終始していたように思います。

この問題は、18トリソミーだけに限られた話ではありません。見つかるべきものが見つからないという問題、その機会が与えられていないという問題、そして一部には、知らないで良いのだという考え、知らないで良いことはわざわざ知らせなくて良いのだという考えがあって、そういう考え方が想像以上に根強いということを感じ、考えさせられたシンポジウムでした。

出生前検査についての問題は、今後も掘り下げて論じていきたいと思います。